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ハゲにまつわる、おかしくも、まじめなお話。カテゴリー、1)~6)の順にお読みください。
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毛生え薬に頼るのは神仏を頼るのと変わらない

 ハゲラーがいくら毛生え薬を使って必死の努力をしても、多くのハゲラーはむなしさを覚えて諦めることになる。それがいまの科学の限界である。たいした効果が期待できないのなら、いっそ神仏にお願いした方がいいかもしれない。無駄な努力をするより、神頼み。神妙にお願いすれば、もしかして生えてくる、なんてこともないけど、気休め程度にはなる。髪は神に通じる、と昔からいい伝えられています。
 毛は生えてこなくても、ご利益があるかもしれない。
 育毛に励んでいるハゲラーには申しわけないが、毛生え薬を一生懸命塗るのは、神仏を拝むのと同じ程度の気安めでしかない。
 どの神社がいいかというと、髪にまつわる神社があって、そこいらの神仏をむやみやたらに拝むよりは多少はご利益があるだろう。


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 髪を祀る有名な神社が京都、嵯峨にある。
 その名も御髪神社という。理容美容の仕事の開祖といわれる采女亮政之(うねめのすけまさゆき、~1335年*)を祀る神社である。
 この神社は、采女亮政之と縁の深い、亀山天皇(1259~1274年)御陵にほど近い小倉山麓に建っている。
 御髪神社の教義には、
「われら生けるもの 御髪大明神の大いなる御魂をうけ ひたすら御名を称えまつる」
「髪は御髪(おんかみ)より賜った美しい自然の冠であり この世を幸いせんと願いまつる」
「われら理容 美容等 髪や化粧にたずさわることを業とする者の御神と浄く澄みわたりて御髪大明神の御光に和し 感謝 称えまつる」
とある(同神社のホームページ)。簡単にいえば、「自然の冠である美しい髪は世の中を幸せにし、髪に関わる理容師や美容師は感謝して称える」ということ。
 美しい髪は世の中を幸せにする‥?そうかもしれない。では‥。
 ハゲは世の中を幸せにできない?そんなことはない。
 ハゲはそれだけで人の心を癒すではありませんか。
 この神社に詣でれば、ハゲの人もハゲていない人も、ついでに床屋さんもパーマ屋さんもご利益がありそうだ。髪は生えてこなくても、なにかご利益があればそれでいいじゃないですか。
 境内には髪塚があり、献髪された髪を納めて、毎日神官により祈拝されている、という。
 神社では毎年、春季大祭、秋季大祭を行い、業祖神奉祭と髪供養を行っている。髪供養といってもハゲラーには関係ないか。
 住所 京都市右京区嵯峨小倉山田渕山町10-2


<コラム>
 理容美容の仕事を始めた祖は、藤原の采女亮政之(うねめのすけまさゆき)といわれている。
 西暦1200年代のころ、第90代亀山天皇(1259~1274年)の時代に、藤原鎌足の末孫である、北小路左衛尉藤原基春卿という、皇居を警護する武士がいた。彼は、宝物の管理も任されていたが、九王丸という宝刀を紛失したことによってその職を解かれてしまった。
 晴基には三人の子供がいたが、協力して紛失した刀を探すことにした。長男は反物商人、次男は染物師となって、京都で宝刀を探した。晴基は三男の采女亮政之を伴って、諸国を歩いた末、下関に移り住んだ。当時下関は、蒙古の襲来で風雲急を告げる九州に渡る交通の要所で、ここを往来する武士の月代を剃り髪結をしながら探索した。また近隣の庄屋の女将の髪も結ったりもした。
 この采女亮政之が、髪結の祖、つまり理容美容の祖、とされる。
 結局、政之は下関の地に十数年居住し探索を続けたが、晴基は目的を果たすことなく弘安一年(1278)没し、采女亮は3年後(1281年)、鎌倉に移り住んだ、といわれている。 
 山口県下関市の亀山八幡宮(下関市中之町1-1 )には、「床屋発祥の地」の記念碑がある。


逆毛隠しがカツラの起源?

 髪を祀る神社を紹介したので、カツラの髪を祀る神社も紹介しておこう。
 その前にカツラといえば、いまではハゲを隠す道具であり、本書でもハゲ隠しのカツラを前提にしてしているが、これはカツラを狭義に捉えたもので、広義には頭へのり物全般を指す。
 中世から近代ヨーロッパでは裁判官などの職位の象徴としてカツラを装着していたし、古代にはカツラの語源ともなった蔓(かずら)を頭に王冠のように戴き一種の頭飾品として使用していた。
 カツラの神様は、蝉丸公という。醍醐天皇の第4子という高貴な身分で出生したものの盲目であったため剃髪し僧侶となった。侍女の古屋美女(ふるやのびじょ)を伴い、滋賀県の逢坂山に閉居していた。
 そこに蝉丸公の姉宮である、逆髪姫(さかがみひめ)が訪ねる。蝉丸という名前も変わっているが姉宮の名前はもっと変わっている。当然、髪の毛が逆さに生えている。しかも針金のような剛毛だったのだろう、逆毛状態で、形容しがたい様子だったと推測する。いまならストレートパーマかアイパーで簡単におさめることもできたのだろうが、当時はそんなしゃれた技術はない。
 おのれの姿を嘆き悲しむ姉姫を見て、蝉丸公は侍女の髪を切ってカツラを作って姉にあげた。これが日本初のカツラといわれている。ハゲ隠しではなく、逆毛・剛毛対策としてのカツラが日本では起源となり、祀られている。
 逆髪姫は、高貴な身分だったが髪の毛が逆立っていたため、身分の低い人からもばかにされたり、恐れられたりと散々だった。昔はハゲより異体な髪の方が悩ましかったに違いない。
 日本初のかつらを作った蝉丸公を祀ってあるのが、滋賀県大津市逢坂山にある関大明神蝉丸宮。カツラの祖新神として崇拝されている。と同時に蝉丸公が和歌や琵琶などの芸事に秀でていたため、芸能の神様としても崇められている。
 蝉丸公の出生には諸説あり、仁明天皇第四皇子人康(かねやす)親王とも、、今昔物語では式部卿の宮の雑式(ぞうしき)とも、いわれている。蝉丸神社についても、現在の片原町にある関大明神蝉丸宮、清水町にある関清水大明神蝉丸宮など逢坂山に3箇所あり、それぞれいわれがある。




 カツラの始祖を祀る関神社は、カツラ業者はじめ床山、演劇芸能関係者らの信奉が厚く、江戸時代になると王子神社(東京都北区)の境内の中に関神社として奉斉された。ご本尊を祀る逢坂山の関神社より、身近な王子神社内の関神社の方が栄えたようで、大正時代には、東京の髢(カモジ)人毛商工組合によって社殿が建立されている。社殿は戦災で消失したが、昭和34年にカツラ業者をはじめ、理容、美容、演劇、舞踊、床山らの業者によって再建された。ここにある毛塚は昭和36年に東京人毛商工組合、東京床山協会らによって、毛髪への報恩と供養のために建立された塔である。
 東京都北区のホームページによると、
「毛塚」は釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られた時、貧女が自らの髪の毛を切り、油にかえて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝いたという言い伝えから、毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために昭和36年5月24日、建立されました。
と説明がある。
王子神社の住所 東京都北区王子本町1-1-12


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