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ハゲにまつわる、おかしくも、まじめなお話。カテゴリー、1)~6)の順にお読みください。
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<コラム>
 理容美容の仕事を始めた祖は、藤原の采女亮政之(うねめのすけまさゆき)といわれている。
 西暦1200年代のころ、第90代亀山天皇(1259~1274年)の時代に、藤原鎌足の末孫である、北小路左衛尉藤原基春卿という、皇居を警護する武士がいた。彼は、宝物の管理も任されていたが、九王丸という宝刀を紛失したことによってその職を解かれてしまった。
 晴基には三人の子供がいたが、協力して紛失した刀を探すことにした。長男は反物商人、次男は染物師となって、京都で宝刀を探した。晴基は三男の采女亮政之を伴って、諸国を歩いた末、下関に移り住んだ。当時下関は、蒙古の襲来で風雲急を告げる九州に渡る交通の要所で、ここを往来する武士の月代を剃り髪結をしながら探索した。また近隣の庄屋の女将の髪も結ったりもした。
 この采女亮政之が、髪結の祖、つまり理容美容の祖、とされる。
 結局、政之は下関の地に十数年居住し探索を続けたが、晴基は目的を果たすことなく弘安一年(1278)没し、采女亮は3年後(1281年)、鎌倉に移り住んだ、といわれている。 
 山口県下関市の亀山八幡宮(下関市中之町1-1 )には、「床屋発祥の地」の記念碑がある。


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